坛之浦夜合战记(全)
(注)旧假名使用改为新假名使用,汉字的一部分
除了改成简单易懂的内容以外,其他都是原文。
《坛浦夜合战记》是日本古典春本之一。描写了在坛之浦之战中投水却获救的建礼门院德子和源义经之间的情事。江户时代形成的好色文学。据说是赖山阳所作,但假托的可能性很高。原本是用汉文写的。
1 弁慶生涯の一房事
平軍ことごとく潰ゆ。源廷尉(義経)、すでに乗輿(天子)のあるところを知り、軍を合わせてとく攻む。
知盛すなわち帝船に赴く。諸嬪(官女)迎えて様を問う。知盛笑うて曰く。「卿等、まさに東国の男子(源氏軍)をみるべきのみ」と。
一船、皆哭す。すでに時子帝(安徳天皇)を抱き海に投じて死す。皇太后(建礼門院)また続いて投ず。東兵鉤してこれを獲たり。諸嬪をあわせて廷尉の艦に致す。太后悲泣す。
廷尉慰めて曰く。
「人生再び生を得る事なし。生ありて、しこうして後、憂いを転じて喜びとなすを得べし。太后、今日悲歎を極めるといえども、臣のあるありて他日、必ず安きに就き、愁眉を開くことを誓わん。痛哭して心を損なうことなかれ」
侍臣こもごも慰む。太后、潜然として言なし。廷尉、諸嬪を顧みるに容色皆しかず。太后、ひとり雨中の海棠に似たり。廷尉すなわち心動き、自らおもへらく。「男子は上蒸を欲し、女子は下淫を好む。我、后妃に接する。今日にあらずんばけだし難かるべし」と。
すなわち一計を案じ、侍臣に低語し、大いに酒宴を張り、もって太后を慰む。廷尉、盃をあげ、太后に勧めて曰く。
「酒はよく愁いを払う釣詩鉤と称す。太后、悲歎するもすでに益なし。宜しく心を寛くし、身を愛して、事の定まるのを待つべきのみ。こいねがわくば、まず適宜に酔いを求めて愁いを払わんことを。人生一度口を開くも、なお修身の利あり。太后、ねがわくば辞することを用いざれ」
侍臣もともに勧めて休まず。廷尉、また諸嬪に対して曰く。
「卿等も宜しく酔郷に転じて歓をとるべし。他日、皆、身を安んずるを得しめんのみ」
諸嬪、再拝して哀を乞う。廷尉、また群臣に命じて曰く。
「よく盃をあげよ。今日はこれ捷軍を祝してかねて久日の戦苦を慰するなり。もって鎌倉(頼朝)の賞を待つべし」と。
衆、大いに悦び、盃を留むることを見ず。廷尉、さらに命じて楽を張らしむ。挙座、囂然として酔いを発す。太后、なお一人、悒然として唇を閉ざす。諸嬪、勧めて曰く。
「廷尉の懇意、まげて心を慰めよ」
太后、もとより少しも嗜まざるにあらず。盃の到るごとに取らざるにあらざるも、心中、怏懊としていまだ酔うに及ばざるなり。いま、廷尉の強うる諸嬪等の勧むるによってさらに数杯をつくし、顔上初めて酔色を帯ぶ。
廷尉、手に大杯を取り、弁慶に賜いて曰く。
「三回をよくせずや」
弁慶曰く。
「臣、死すともなおかつ辞せず。何ぞ酒をや」
すなわち、たちどころに一口一杯、あたかも長鯨の百川を吸うがごとし。諸嬪、手を拍ってひとしく歌う。弁慶踊りかつ舞い、巨口白眼六禽を逐う。衆、大いに笑う。太后、初めて少し唇を開く。あたかも桜花剖蕾の春風にほころび、半点の朱葩笑みを含むがごとし。満座雑沓、男女混乱す。
廷尉曰く。
「むしろ配合せよ」
すなわち、くじしてこれを定む。廷尉、大笑いして曰く。
「亀井はなにがし。片岡はなにがし。伊勢はなにがし。駿河はなにがし。余はなにがし」と。
一人、武蔵坊のみ配なく、衆、大いに笑う。廷尉曰く。
「汝また許して楽しましむ。もって男は戦苦を女は憂愁を、相ともにふたつながら忘れよ」
男女たちまち手を携えて去る。廷尉、座眠す。室内初めて寂然たり。一人、弁慶、この室に隣接す。けだし忠臣、酔えども宿直の意失わず。すでにして某嬪、私語するあり。喃喃聞くべからず。ただ弁慶の言のみ手に取るがごとし。曰く。
「可なり。試みん」
また曰く。
「かくのごときを欲するか」
また曰く。
「それ、如何。それ、如何」
すでにして嬪、ようやく声高くして、ついに叫んで曰く。
「ああ。それ、君。まことに七つ道具を備う。はじめに指を弄する熊手のごとく、次にそのうがつこと槌をもってするがごとし。その裂かんとすること斧をもってするがごとし。また、その突くや鑿のごとく、錐のごとく、磨するや鉋のごとし。ああ、君、七つ道具全うし、妾、何ぞ堪えん。ああ、死あるのみ」
弁慶曰く。
「なお汝の一つ道具にしかず。我、大いに怕る。汝、実にこれ強敵なり」
言い終わって鼻息奔雷のごとく、気息烈風のごとし。たちまち大喝一声してやむ。しばらくして声を定めて曰く。
「ああ、我、生来初めてこれをなす。これ、何物の妖魔ぞ。この八尺の体をとろかさんとする。ああ、あやまてり。再び用うるべからず」
すなわち他に転ずる山の崩るるがごとく、たちまち昏睡せり。世にこれを弁慶生涯の一房事と称す。
(注)旧假名使用改为新假名使用,汉字的一部分
除了改成简单易懂的内容以外,其他都是原文。
《坛浦夜合战记》是日本古典春本之一。描写了在坛之浦之战中投水却获救的建礼门院德子和源义经之间的情事。江户时代形成的好色文学。据说是赖山阳所作,但假托的可能性很高。原本是用汉文写的。
1 弁慶生涯の一房事
平軍ことごとく潰ゆ。源廷尉(義経)、すでに乗輿(天子)のあるところを知り、軍を合わせてとく攻む。
知盛すなわち帝船に赴く。諸嬪(官女)迎えて様を問う。知盛笑うて曰く。「卿等、まさに東国の男子(源氏軍)をみるべきのみ」と。
一船、皆哭す。すでに時子帝(安徳天皇)を抱き海に投じて死す。皇太后(建礼門院)また続いて投ず。東兵鉤してこれを獲たり。諸嬪をあわせて廷尉の艦に致す。太后悲泣す。
廷尉慰めて曰く。
「人生再び生を得る事なし。生ありて、しこうして後、憂いを転じて喜びとなすを得べし。太后、今日悲歎を極めるといえども、臣のあるありて他日、必ず安きに就き、愁眉を開くことを誓わん。痛哭して心を損なうことなかれ」
侍臣こもごも慰む。太后、潜然として言なし。廷尉、諸嬪を顧みるに容色皆しかず。太后、ひとり雨中の海棠に似たり。廷尉すなわち心動き、自らおもへらく。「男子は上蒸を欲し、女子は下淫を好む。我、后妃に接する。今日にあらずんばけだし難かるべし」と。
すなわち一計を案じ、侍臣に低語し、大いに酒宴を張り、もって太后を慰む。廷尉、盃をあげ、太后に勧めて曰く。
「酒はよく愁いを払う釣詩鉤と称す。太后、悲歎するもすでに益なし。宜しく心を寛くし、身を愛して、事の定まるのを待つべきのみ。こいねがわくば、まず適宜に酔いを求めて愁いを払わんことを。人生一度口を開くも、なお修身の利あり。太后、ねがわくば辞することを用いざれ」
侍臣もともに勧めて休まず。廷尉、また諸嬪に対して曰く。
「卿等も宜しく酔郷に転じて歓をとるべし。他日、皆、身を安んずるを得しめんのみ」
諸嬪、再拝して哀を乞う。廷尉、また群臣に命じて曰く。
「よく盃をあげよ。今日はこれ捷軍を祝してかねて久日の戦苦を慰するなり。もって鎌倉(頼朝)の賞を待つべし」と。
衆、大いに悦び、盃を留むることを見ず。廷尉、さらに命じて楽を張らしむ。挙座、囂然として酔いを発す。太后、なお一人、悒然として唇を閉ざす。諸嬪、勧めて曰く。
「廷尉の懇意、まげて心を慰めよ」
太后、もとより少しも嗜まざるにあらず。盃の到るごとに取らざるにあらざるも、心中、怏懊としていまだ酔うに及ばざるなり。いま、廷尉の強うる諸嬪等の勧むるによってさらに数杯をつくし、顔上初めて酔色を帯ぶ。
廷尉、手に大杯を取り、弁慶に賜いて曰く。
「三回をよくせずや」
弁慶曰く。
「臣、死すともなおかつ辞せず。何ぞ酒をや」
すなわち、たちどころに一口一杯、あたかも長鯨の百川を吸うがごとし。諸嬪、手を拍ってひとしく歌う。弁慶踊りかつ舞い、巨口白眼六禽を逐う。衆、大いに笑う。太后、初めて少し唇を開く。あたかも桜花剖蕾の春風にほころび、半点の朱葩笑みを含むがごとし。満座雑沓、男女混乱す。
廷尉曰く。
「むしろ配合せよ」
すなわち、くじしてこれを定む。廷尉、大笑いして曰く。
「亀井はなにがし。片岡はなにがし。伊勢はなにがし。駿河はなにがし。余はなにがし」と。
一人、武蔵坊のみ配なく、衆、大いに笑う。廷尉曰く。
「汝また許して楽しましむ。もって男は戦苦を女は憂愁を、相ともにふたつながら忘れよ」
男女たちまち手を携えて去る。廷尉、座眠す。室内初めて寂然たり。一人、弁慶、この室に隣接す。けだし忠臣、酔えども宿直の意失わず。すでにして某嬪、私語するあり。喃喃聞くべからず。ただ弁慶の言のみ手に取るがごとし。曰く。
「可なり。試みん」
また曰く。
「かくのごときを欲するか」
また曰く。
「それ、如何。それ、如何」
すでにして嬪、ようやく声高くして、ついに叫んで曰く。
「ああ。それ、君。まことに七つ道具を備う。はじめに指を弄する熊手のごとく、次にそのうがつこと槌をもってするがごとし。その裂かんとすること斧をもってするがごとし。また、その突くや鑿のごとく、錐のごとく、磨するや鉋のごとし。ああ、君、七つ道具全うし、妾、何ぞ堪えん。ああ、死あるのみ」
弁慶曰く。
「なお汝の一つ道具にしかず。我、大いに怕る。汝、実にこれ強敵なり」
言い終わって鼻息奔雷のごとく、気息烈風のごとし。たちまち大喝一声してやむ。しばらくして声を定めて曰く。
「ああ、我、生来初めてこれをなす。これ、何物の妖魔ぞ。この八尺の体をとろかさんとする。ああ、あやまてり。再び用うるべからず」
すなわち他に転ずる山の崩るるがごとく、たちまち昏睡せり。世にこれを弁慶生涯の一房事と称す。