第304話:屑星
「なにか言いたいことでも?」
いつものように自室で本を読んでいるオリヴィエ・ドゥラランドが、本から視線を外さずにチンツィアへ問いかける。チンツィアの見た目はいつもと変わらぬ落ち着いた様子であるのだが、どうやらオリヴィエにはチンツィアがなにか不満を述べたそうに見えるようだ。
「私はなにも言っていません」
オリヴィエは小さくため息をつくと、本を――『カンムリダ王国:偉大なる錬金術師にして大召喚士 第四巻』を閉じる。
「彼は優秀だよ」
「どれほど優秀であろうと、あれは性格破綻者です」
「あははっ。それは否定できないな。でも確かなことが一つだけある」
チンツィアはカップに紅茶を淹れながら、オリヴィエの言葉に耳を傾ける。
「ドール・フォッドは強い」
室内にカチャリと、チンツィアがテーブルにカップを置いた音が響く。しばし二人の間を沈黙が支配する。
「なにか言ってくれないと、私がバカみたいじゃないか」
決め顔で語ったオリヴィエが、コホンッと小さな咳払いをする。
「真面目に聞いた私が馬鹿でした」
オリヴィエの斜め後ろ――いつもの位置に控えるチンツィアが、すました顔で答える。
「事実だよ」
「ジンバ王国はウードン王国の属国です。ジャーダルクがいかに情報封鎖をしていようと完璧ではありません。それにウードン王クレーメンスも、ドールとは違った意味で心が歪んでいます。ならば場合によっては、面白そうという理由だけで介入する可能性があります」
「大いにその可能性はあるだろうね」
チンツィアの心配をよそに、オリヴィエは肯定する。閉じていた本を再び開くと、続きを読み始めた。
「大賢者が来たらどうするのですか」
「私がウードン王なら、間違いなく大賢者を差し向けるだろうね」
「そこまでわかっているのでしたら、どうしてグラヴォスかアリヨを送り込まなかったのですか」
チンツィアの口から第一死徒と第二死徒の名が出る。そして興奮したためだろうか、チンツィアの頭部から狐耳が飛び出していた。
「変化が解けかけているよ」
オリヴィエの指摘に、ハッとしたチンツィアは両手で頭を押さえる。
「その二人のどちらかでも参戦させれば、大賢者との戦いの余波でジンバ王国は消し飛んで――あっ……それはドールでも一緒か。その辺はちゃんと考えているよ」
「私にはとてもそうは見えませんが」
狐耳を指摘された仕返しのようにチンツィアが呟く。
「備えはしているよ。サクラ風に言えば、保険かな」
「ホケン……ですか?」
「こほっ……が、はっ……あぁはぁ…………」
バラッシュが小さな咳きをすると、肺の中から空気と共に煤すすが吐きだされる。大賢者の放った『焦土』によって、周囲は文字通り焦土と化していた。周囲を見渡しても勇猛果敢なジャーダルク聖騎士団の姿は誰一人として見当たらず。ただ一人、生き残ったバラッシュの全身は煤によって黒一色である。その身に着けたる甲冑は溶けて皮膚との境目がわからぬほど一体化し、甲冑に覆われていない身体の大部分が炭化していた。そんな状況で傷一つないアイギスの盾は際立っている。
「お…………おの……れっ。あ、の化け……に後衛を……いや…………ま……魔王、に削ら……こふっ……れて、さえいなけ…………ればっ」
空に浮かぶ大賢者とドールを見上げながら、バラッシュは呪詛のような言葉を紡ぐ。
一陣の風が焦土と化した大地とジャーダルク聖騎士団の残骸を巻き上げる。その風を受けバラッシュの炭化した左太腿が脆くも崩れると、バランスを崩したバラッシュが倒れる。そのまま倒れたバラッシュが再び立ち上がることはなかった。
「礼を言うべきなのか。それとも私諸共、屠ろうとしたことを抗議するべきなのだろうか」
聖杯を掲げるドールのもとへ、数万もの魂が吸い込まれていく。
「素直に死んでおけばいいものを」
あれだけ大規模な魔法を発動させながら大賢者は息一つ切らさず、つまらなそうにドールを見る。
「のう、これを見てどう思う? 儂に似合ってるじゃろ」
そう言って大賢者は、右腕の手首と人差し指に嵌められた聖者の腕輪と指輪、それに聖者のローブをドールへ見せつける。
「ところで、お主の相棒……ほれ、名をなんと言うたかのぅ? おーおー、そうじゃ! ギリヴァム・フォッドはどうした?」
「あなたが殺しておいて、臆面もなく言えるものだ」
魂を回収し終えた聖杯を懐のアイテムポーチへ仕舞いながら、ドールは感情の篭っていない冷めた目で大賢者を見やる。期待していた反応が返ってこなかったことに、大賢者はつまらなそうにその場で回転する。
「ひょほほっ。