戦前から戦中にかけて、新聞や雑誌はときに検閲で発禁処分となり、損失に苦しんだ。印刷を終えたのに販売できなくなるからだ。それゆえ問題になりそうなところを先回りして、伏せ字や削除をする例が多かった▼作家の石川達三が日中戦争に従軍して書いた小説『生きている兵隊』は雑誌の初出では例えばこんな感じだった。「兵士たちは自分等が×××××××××はなった」。伏せ字は「宿営した民家に火を」である▼日本軍をめぐる赤裸々な表現が当局ににらまれるとの懸念からだ。そんな自己検閲が、実際の検閲に輪をかけて表現の世界を息苦しくした。似たようなことにならなければいいが。そう思うのは、愛知県で開催中の芸術祭に国が補助金を交付しないと発表したからだ▼展示の一つ「表現の不自由展・その後」に脅迫の電話があり、中止になった。警備が必要になりそうなことを事前に国に報告しなかったというのが不交付の理由という。後出しじゃんけんのような変な話だ▼求められるのは脅迫や妨害に立ち向かうことなのに、これでは後押ししているように見える。議論を呼びそうな展示は避けようと自治体が自己検閲を強めないか。まさかそれが国の狙いだとは思いたくないが▼石川の作品が載った雑誌は結局発禁処分になり、作家も起訴された。戦場の現実に迫る文学の力は、少々の伏せ字では覆い切れなかった。芸術には訴える力があり、それを抑えつけたい人がいる。いつの時代も同じかもしれない。