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水平和精力不足,就丢个砖吧【ky全集,城娘听了想打人


IP属地:广西1楼2017-07-20 21:57回复
    福山館
    1.
    殿ちゃん、おはようございますっ!
    今日は私の御城の自己紹介をさせてください!福山館は田舎者って思われがちですけど、
    本当はそんなことないんです。なんと、北海道でたったひとつしかない、
    日本式の城郭なんですよ。松前氏が慶長11年に陣屋を建てたのが始まりで、
    今では北海道遺産にも選ばれているんです。遺産ですよ遺産!
    もはや北海道の大切な文化の証ですよ。都会の御城も立派ですけど、
    福山館もすごいですよね?
    たいしたものだね。→ありがとうございます!
    たいしたことないね。→ひ、ひどいですぅ……。
    ずばり北海道オンリーワン御城宣言です!まだお話ししたいけど、
    それは次のお楽しみに!
    2.
    じゃーん! 殿ちゃん、見てください。
    服、似合ってますか?え、今日はいつもと雰囲気が違う?えへへー。
    今日はお花見に行くので
    おめかししたんですよ。あ、そうだ。
    この前途中だった御城の紹介を聞いてください。福山館のまわりは昔と違って、
    今では松前公園って呼ばれてて
    毎年春になるとお花見客でにぎわうんです。北海道の人気スポットとして有名で、
    私も鼻が高いです。みんなに見られて
    ちょっぴり照れちゃいますけど。もっとお洒落になりたいです。
    お花見っていったら、もちろん……。
    「菊」かな。→あー、残念……。
    「桜」かな。→そのとおり、正解です!
    夜桜見物って風情がありますよね。
    私もお団子食べながらお花見しようかな。
    殿ちゃん、一緒にいきませんか?
    3.
    殿ちゃん、この前は一緒にお花見に
    付き合ってくれてありがとうございます。
    またお出かけしたいです。そうそう。思ったんですけど、
    福山館を建てた松前氏について
    知ってる人って意外と少なかったです。まだまだ自己紹介が足りなかったですね。
    せっかくだからこの機会に
    松前氏のお話をしてもいいですか?福山館を建てたのは
    蝦夷地の大名、松前慶広ちゃんです。元々は安東氏の下で
    蠣崎氏を名乗っていたんですけど、豊臣秀吉の奥州仕置の際に
    謁見して独立したんですよ。秀吉の死後は松前氏に改名したんですが、
    実はふたりの有名な大名にあやかっているんです。松前の「松」は徳川家康の旧姓の松平から。
    松前の「前」は……。
    「前田利家」かな。→殿ちゃん、大当たりですっ!
    「前野長康」かな。→殿ちゃん、惜しいっ!
    前田利家の「前」をもらって
    松前って名乗ったんです。松前慶広ちゃんは
    時流を見ることに長けてたんですね。そんな慶広ちゃんが建てた福山館、
    これからもよろしくです!


    IP属地:广西2楼2017-07-20 21:58
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      松前城
      1.
      実りの秋、
      いろいろなものがおいしい季節ですわね。
      おだんご、馬鈴薯、焼きトウモロコシ……。ああ、殿は松前漬けが好きなのですね。
      私はなんといいますか、
      あの料理はいまいち……。だって私のように都会のセンス溢れる
      御城には似合わないですし。で、ですが、
      殿がどうしてもと言うのなら、その……
      お相伴にあずかってもよろしいですわよ。もぐもぐ……
      そういえば、食べ物と言えば江戸時代、大名は領地の石高によって
      格付けされていたのはご存じですか。ですが松前藩では
      ある作物が収穫できないので
      石高の計算ができなかったのです。これは全国でただひとつの例外ですわ。
      その作物というのはもちろん……。
      「お酒」じゃないか?→殿、無念ですわ。
      「お米」だね。→殿、お見事ですわ!
      お米が収穫できないため「無高」だったのです。
      のちに便宜的に一万石とされたのですわ。……殿、松前漬け、
      もう少し食べてもよろしいでしょうか?これを食べて、もっとお稽古を頑張りますわ。
      2.
      狙えー! 撃てーっ!あ、殿。よくいらしてくださいましたわね。
      ちょうど今、砲術のお稽古をしているところでしたの。ご覧のように御城も新しくなり、
      私の気分も上々ですわ。
      松前城は福山館を改築したお城なんですのよ。以前よりも、
      ぐっとスタイリッシュになったと思いませんか?長沼流兵学者の市川一学様が
      縄張りを行ってくださったのです。御城の防備はバッチリですわ。
      海からの砲撃に耐えるよう
      城壁に鉄板が仕込まれただけでなく、天守の壁には頑丈な
      ケヤキ板が埋め込まれていますの。緑の石垣もとても珍しくて目を引きますわね。
      これは近くの山で採掘された緑色凝灰岩を
      使っているからなのですわ。
      平凡な城だね。→そんなことおっしゃらないでください……。
      素敵な城だね。→殿ならそう言ってくださると思っていましたわ。
      御城について一通りご説明しましたので、
      そろそろお稽古に戻りますわ。御城が戦火に見舞われたお話は、
      後日改めてさせていただきます。
      3.
      それでは前回のお話の続きを
      させていただきますわ。元々はロシアに備えていたこの松前城ですが、
      明治維新において、いよいよ戦の足音が
      近付いてきたのですわ。1868年、江戸を脱出した
      榎本武揚率いる旧幕府軍が蝦夷地に
      新政権を打ち立てるべく上陸……。その後、戊辰戦争最後の戦いの序章として、
      城を守る松前藩兵と戦闘が繰り広げられたのですわ。私も日頃の鍛練の成果を発揮するのは
      今だとばかりに頑張ったのですが……。大手門が堅いと見て取った敵は、
      防備が手薄な搦手(からめて)から
      攻め寄せてきたのです。城の裏手には鉄砲狭間も少なく、
      やすやすと敵の侵入を許す結果となってしまいました。この時御城を攻めたのが、
      かつて新撰組副長として
      京都でその名を轟かせた土方歳三ですわ。
      いつの時代でも猛者はいるんだな。→殿もそのひとりだと思っております。
      よくわからん…。→殿、武人の血が騒がないのですか?
      土方歳三はわずかな手兵を率いて
      松前城を攻略したのですわ。一所懸命砲術のお稽古を続けてきたのですが
      役には立たず……もっと大砲を撃ちたくて欲求不満ですわ。
      どーん!


      IP属地:广西3楼2017-07-20 21:59
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        根城
        1.
        はぁ~い。殿、元気ぃ?
        今日はわざわざ
        あたしに会いに来てくれてありがとう。あたし?
        あたしはいつだって元気だで。なんだか嬉しそうな顔をしてる?
        そりゃそうよ。
        だってこれから遠乗りにいぐんだもん。遠乗りってったら馬に乗っていくに
        決まってるよ~。根城のある八戸地方は
        駿馬の産地で有名なんだ。八戸の「戸」は
        牧場を意味してるとも言われてるんだで。いいお天気だし、絶好の遠乗り日和だし、
        朝からわっくわくが止まんねぇ。よかったら、殿も一緒に遠乗りに行がねぇか?
        行こう行こう!→そうこなくっちゃだべ!
        気が乗らないな。→そんなこと言わないでけれ……。
        よーし、そしたら思いっきり早駆けしよっか。
        馬曳いてくるから、
        あたしのうしろに乗ってけれ!
        2.
        殿、こないだの遠乗り、帰ってきてから
        なんか顔色悪そうだったけど大丈夫だった?殿と一緒に馬に乗れるのが嬉しすぎて、
        ちょっくら飛ばし過ぎちゃったかも……
        今度から気をつけるね。今日はゆっぐり腰落ち着けて、
        御城の話を聞いてけれ。根城は河岸段丘の上に建ってて、
        本丸、中館、東善寺、岡前舘、沢里館の
        5つの館が連なっている平山城だで。石垣や天守が存在しねぇ
        典型的な中世城郭なんだけれど、御城の北を流れている馬淵川を堀代わりに、
        周囲に土塁を築いて守りを固めているんだて。
        やっぱりガードが堅いのは大事だね。結局、根城は南部氏の拠点のひとつとして、
        300年間いくさに巻き込まれることは
        なかったんだ。だから不戦の御城として知られているんだで。
        時として戦いも必要だ。→うん……やっぱそうだよね……。
        平和が一番だ。→あたしもそう思うな!
        うーん。
        天守にいるとなんだか落ち着かねぇなぁ。お天気もいいし、
        やっぱり遠乗りに出かけよっかな。
        さ、殿も一緒いこっ!
        3.
        殿、こないだの遠乗りも楽しかったね。
        八戸から津軽まで行っちゃったもんな~。気がついたら、大宝寺合戦のあったあたりまで
        馬を飛ばしてたからびっくりしたで。せっかくだはんで、
        今日は大宝寺合戦について説明するね。1334年、後醍醐天皇による
        建武の新政が始まった後、南部師行さんは奥州に下向した
        北畠顕家さまに従って
        北条氏の残党と戦ったんだ。南部師行さんは調略(ちょうりゃく)によって
        敵方の武将を次々に味方に付け、
        勝利に貢献したんだと。戦わずに勝つって素敵だなぁ。
        馬が傷つく姿は見たくねぇし。
        戦いに犠牲はつきものだ。→馬が巻き込まれるのはかわいそうだべ。
        自分もそう思うな。→殿も馬が好きなんだ。嬉しいなぁ。
        殿と何度も遠乗りできて楽しかったな~。
        これからもよろしくだべ!


        IP属地:广西4楼2017-07-20 22:00
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          不来方城
          1.
          すーすー……はっ! 誰だ!
          アイサツなしでここを通ろうとするヤツは?
          名乗らないと、俺の金棒が容赦しないぞ!……って、なんだ、よく見たら殿じゃねーか。
          鬼が出たのかと思って焦っちまったぜ。口からよだれが垂れてる?
          ば、馬鹿言うな!
          ちゃんと見張りしてたって!鬼といえば……
          どうして御城が不来方城って
          呼ばれてるか知ってるか?昔、「羅刹」って鬼が
          この地方で暴れ回ってたんだけど、神様に捕まって
          二度とここには来ないって約束したんだ。だから鬼が「来ない方向」っていう意味で
          不来方って呼ばれるようになったんだ。鬼をやっつけるなんてかっこいいよな。
          俺も負けずに頑張るぜ。
          頼もしいな。→よせやい。照れるじゃねぇか。
          頼りになるかな?→おいおい、もっと信用してくれよ~。
          俺がいる限り、鬼の子一匹通しゃしないぜ!
          2.
          よっ! はっ! ほっ!
          ……よぅ、殿。また来てくれたのか。ふぅー、今日も金棒を振り回して
          いい汗かいたぜ。いつ鬼が現れてもいいように、
          毎日訓練してるんだ。おかげで金棒を自由自在に操れるように
          なったぜ。鬼が出たらガツンと一発
          やっつけてやるから安心してくれ。それにしてもこのあたりは
          鬼にまつわる伝承がいろいろあるよな。「鬼首」や「鬼死骸」なんていう、
          鬼が付く地名もたくさんあるし、秋田の「なまはげ」も
          鬼をモチーフにしているとか言われてるな。これは京(みやこ)から見て鬼門に当たってる
          からっていう説もあるみたいだぜ。
          本当かどうか知らねぇが。ちなみに「鬼門」の方角っていったら
          もちろん……。
          南西かな。→違うぜ、殿……。
          北東だな。→その通りだぜ。
          北東、つまり東北地方が当時の朝廷に
          警戒されていた証なのかもしれねぇな。
          鬼っていったいなんなんだろーな。
          3.
          おっす、殿。最近よく会うな。
          今日はいい日になる予感がするぜ。いつもと雰囲気が違う?
          金棒を持ってねえから別人だと思った?
          よせやい。照れるじゃねーか。あれからいろいろ考えたんだけど、
          鬼も本当は悪い連中じゃないのかもって
          思い始めたんだ。ほら、あいつらには
          あいつらなりの事情があるかもしれないだろ?朝廷に不当に
          虐げられていたのかもしれねえし。外見が俺たちと違うからって、
          問答無用で金棒を振り回すのはよくねえよな。だから、まずは話し合いをしようと思うんだ。
          それでも連中の主張が納得できなかったら、
          その時こそ金棒がうなりを上げるぜ。
          立派な考えだと思うぞ。→殿ならそう言ってくれると思ったぜ。
          鬼と話し合いなんて無理だ。→殿ならわかってくれると思ったんだけどな……。
          殿とたくさん話をしたおかげで
          鬼について考えるようになったし、
          俺も成長できた気がする。ありがとな。
          感謝してるぜ。


          IP属地:广西5楼2017-07-20 22:01
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            盛岡城
            1.
            殿、ご無沙汰しておりました。
            かつて不来方城と呼ばれていた
            盛岡城ですわ。関ヶ原の戦い前後の慶長年間に名を改めた
            のですが、盛り上がり栄える岡という
            願いが込められているのですわ。その名のとおり、私の胸もいい感じで
            盛り上がっていると思いませんか?
            昔の私とは違いますよ。えっへん。……はっ!
            いやですわ。私ったらなんてはしたない。
            思いがけず成長したのでつい嬉しくて……。む、胸のことはひとまずおいて、
            御城のご説明をいたしましょう。盛岡城は鶴ヶ城さん、小峰城さんと並んで
            東北三大名城のひとつに数えられているのですわ。特徴はなんといっても白い石垣。花崗岩(かこうがん)で組まれた石垣は、
            土塁の多い東北地方ではなかなか見ることの
            できない貴重なものなのですわ。遠慮なさらずに、
            もっと近くでご覧になってもよろしいですわよ。
            胸、大きいな……。→きゃっ!どこを見ているのですか!
            立派な石垣だな。→お褒めにあずかり恐縮ですわ。
            ご満足いただけたでしょうか?
            ご鑑賞いただきありがとうございました。
            またいらしてくださいね。
            2.
            ずず。ずずず……。
            はー、おいしい。
            よーし、もう一杯いっちゃおうかしら!ずず……ずずず……。
            お代わりが止まりませんわ。
            おいしすぎて、何杯でもお腹に入りますわ~。……はっ!
            と、殿、いつからいらしていたのですか!?
            お蕎麦を食べるのに夢中で気づきませんでした。またはしたないところをお見せして
            しまいました。乙女にあるまじき振る舞い、
            顔から火が出そうですわ。でも、お蕎麦が美味しいから
            しかたがないですわ。え、殿の時代には「そばがき」や
            「そばもち」が定番だったんですか?
            それはもったいないですね。盛岡城を築城された南部利直公も
            たいそうお気に召されたそうですから。利直公にお蕎麦をお出しする際、
            きれいなお椀に盛ったのが
            「わんこそば」の始まりとされていますのよ。ちなみに「わんこ」というのは……。
            方言か?→大正解ですわ、殿。
            犬……?→残念ながらハズレですわ。
            岩手の方言で「お椀」を意味するそうです。
            「わんこそば」の歴史にはいくつか説が
            あるらしいんですが……。それよりも、殿。
            わんこそば、何杯食べられるか
            競争いたしましょう!
            3.
            殿、先日はわんこそば美味しかったですわね。勝負の結果は引き分けでしたが、
            調子に乗って食べ過ぎてしまい、
            しばらく身動きが取れなくなってしまいましたわ。その節は介抱してくださって
            ありがとうございます。
            殿は本当にお優しいですわね。あら? どこかで風鈴が鳴っていますわね。
            涼しげな音色に心が癒されますわ。風鈴といえば、
            南部風鈴に代表される
            南部鉄器はご存じですか?盛岡の鋳物産業は盛岡城築城と同時期に
            始まったとされ、南部氏の庇護の下、
            次第に発展していったのですわ。え?
            そんなことより私の持っているものがさっきから
            気になってしかたがないとおっしゃいますの?こ、これは南部煎餅(せんべい)ですわ。
            南部氏の兵がそば粉にゴマと塩を混ぜ、
            鉄兜で焼いて食べたところ、見事勝利を収めたのが始まりとも言われている
            名物お煎餅ですわ。素朴な味わいが
            一度食べたら忘れられなくなるのですわ。
            よろしかったら殿もおひとついかがですか?
            遠慮しておくよ。→そうですか……残念ですわ。
            美味しそうだね。→もちろんですわ。
            どうぞお召し上がりください。
            風鈴の音色に耳を傾けながら
            お煎餅を食べる……
            なんて優雅なひとときでしょう……お腹も減ってきましたし
            またわんこそばを食べたくなってきました。
            今度は負けませんわ!


            IP属地:广西6楼2017-07-20 22:02
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              千代城
              1.
              ノウマク  サンマンダ バザラダン カン……。……おや、来ておったのか?
              御仏に祈っていたゆえ気づかなんだ。
              ご無礼許されよ。なに? この城には
              たくさんの御仏が祀られているから、
              どれに祈っていいのかわからぬか?わらわが祈っておったのは不動明王じゃ。不動明王は剣を持ち、
              恐ろしい顔をしておられるが、
              それは悪を許さぬという御心ゆえの怒りの姿。本当は心の優しい御仏なのじゃ。
              わらわも常に不動明王の如くありたいと
              思っておる。外にあっては刀を振るって城主を守り、
              内にあっては慈愛の心で城主を包む。
              そう願って止まぬのじゃよ。
              一人で頑張ってくれ。→うむ…精一杯精進しよう。
              一緒に頑張ろう。→城主が一緒なら百人力じゃ。
              ケホッケホッ……。
              珍しく喋りすぎたゆえ少々疲れた。
              今日は早めに床(とこ)につくとしよう。
              2.
              よく参られた。
              先日は中座してしまい失礼いたした。今日は体調がよいので、
              後ほど、具足の点検を行おうと思う。本来なら書物を読む方が
              性に合っておるのだが、
              戦の準備も怠ってはならぬからな。戦と言えば、この千代城は伊達氏の家臣、
              国分盛重(こくぶんもりしげ)殿が
              治めておった城じゃ。盛重殿はかの政宗公の叔父にあたり、
              伊達家の重鎮でもあった。しかし、ある日突然出奔し、
              佐竹氏に身を寄せてしまったのじゃ。その理由ははっきりせぬが、
              いずれにせよ主を失った千代城は
              廃城となってしまったのじゃ……。そのため、わらわは佐竹氏の居城である
              久保田城とはそりが合わぬ。頼りにしていた家臣が突然いなくなる……
              この世のなんと無情であることよ。
              俺はどこまでも一緒だぞ。→かたじけない。さすがは城主じゃ。
              裏切り者は倒そう。→裏切り、裏切られるのが戦国の世か……。
              すまん。つい愚痴をこぼしてしまった。
              忘れてもらえればありがたい。……そろそろ六韜(りくとう)を読む時間じゃ。
              失礼いたす。
              3.
              ケホッ……ケホッ……。
              おや、見舞いに来てくれたのか?
              わざわざかたじけない。うむ。最近また調子が悪くなってな。
              寝たり起きたりを繰り返しているのじゃ。最近つらつらと思うのじゃ。
              わらわは、果たして城主の役に立って
              おるのかと……な。このように病弱な身とあっては、
              その名のごとく末永く城主のそばに居る
              というわけにはいかぬかも知れんな。なに? 心配には及ばぬ?
              どういう根拠でそのようなことを申すのだ?わらわの胸はまだまだ成長しそうだから、
              相当長生きしそう、じゃと?あ、あまり、ジロジロとみるでない。
              元気づけようと思って。→う……。まったく城主は不器用じゃな。
              つい口が滑った。→不動明王もお怒りじゃぞ!
              しかし、なんだか元気が出てきたぞ。
              まだまだ倒れるわけにはいかんようじゃ。
              これからもよろしくお頼み申す。


              IP属地:广西7楼2017-07-20 22:03
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                仙台城
                1.
                殿は独眼竜と呼ばれた武将をご存じか?仙台城を築城した伊達政宗公だ。
                幼い頃に疱瘡(ほうそう)を患い、隻眼となったことから
                そう呼ばれるようになったという。政宗公はわずか17歳で家督を継ぎ、
                奥州制覇に乗り出した。近隣諸国を次々に
                従え、伊達家の版図を一気に拡大したのだ。そのため私も最上氏の山形城や佐竹氏の
                久保田城からライバル視されているが、
                いくらでも受けて立つつもりでおる。私にも独眼竜の御城としての
                気概があるからな。政宗公は1589年に葦名氏を
                摺上原(すりあげはら)で撃破。奥州最大の戦国大名のひとつとなった。
                まさに戦国の風雲児だな。あと10年早く生まれていたら、
                天下を取っていただろうとも言われておる。ところで、殿は自分のことを
                どう思っておいでか?
                政宗に負けないよう頑張る。→その心意気、実に天晴れ。
                政宗にはかなわないかも。→なにを気の弱いことを……。
                私も微力ながらご助力いたす。
                共に天下を狙おうではないか。
                2.
                おや? 誰かと思えば殿ではないか。
                ちょうど、この石垣から
                城の外を眺めていたところだ。仙台城は平山城だが、
                青葉山に建てられたため
                城下町を一望できるのだ。見事な景色だとは思わんか?
                本丸の東側には広瀬川が流れて
                天然の要害となっておるし、縄張り(なわばり)の大きさも2万坪。
                江戸城に次ぐ全国2番目の広さを誇っておる。イスパニアの探検家ビスカイノは、
                日本の最もすぐれ、
                最も堅固な城のひとつと絶賛しておるぞ。まさに難攻不落と言っても過言ではあるまい。
                さすがは政宗公が築いた御城だな。ちなみに仙台城は青葉城とも呼ばれ、
                民に親しまれている。
                私も、今少し殿と親しくなりたいものだが……。
                こちらこそよろしく。→う、うむ。よろしくな……。
                距離感も大切だ。→そ、そうか。つまらぬことを言ったようだ。
                この次は城下の風習を紹介しよう。
                七夕祭りについて話すので、
                楽しみにしておるがよい。
                3.
                よく来たな。待っておったぞ。
                それでは約束通り、七夕祭りを紹介しよう。今日は服装がいつもと違う、だと?祭りはハレの日なのだから、
                説明する際もこうして
                おめかしするのは当然ではないか。……そうか、似合っておるか。ならばよい。
                この日を指折り数えて待っていた
                甲斐があったというものだ。おっと、話が逸れてしまったな。失敬失敬。七夕祭りは政宗公の頃からの
                伝統行事として受け継がれており、
                民も心待ちにしておるのだ。城下は色とりどりの七夕飾りで埋めつくされる。
                実に美しく壮麗で、まるで極楽におるようだぞ。ところで、仙台七夕祭りは
                毎年いつ頃行われておるかご存じか?
                7月7日頃だろ。→残念。実は月遅れの8月なのだ。
                8月7日頃かな。→殿に対しては愚問だったようだな。
                8月の風物詩として、
                今や欠かせぬものとなっておる。政宗公もさぞお喜びであろう。
                私たちも今度一緒に
                お祭りに行こうではないか。


                IP属地:广西8楼2017-07-20 22:04
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                  東黒川館
                  1.
                  きりーつ。気をつけー。礼!御殿様、おはようございます。
                  私、東黒川館と申します。以後、お見知りおきください。聞き慣れない名前ですか?
                  確かにそうかも知れませんね。そうだ。せっかくですので、
                  軽く自己紹介させていただきますね。東黒川館は1384年に
                  蘆名直盛(あしななおもり)様によって建てられました。わざわざ東と名付けられていますが、
                  当時は西黒川館も存在していたらしいです。建築当時、蘆名様の親子がそれぞれの館に分かれて
                  暮らしていたそうですよ。
                  自分の館があるっていいな。→ふふ。そうですね。
                  親子仲が悪かったのかな。→そ、そんなことはないと思います……。
                  やがて増改築が進むにつれ、
                  ふたつの御館はひとつの御城になって
                  いくんですけれどね。そのお話はまたいずれ。
                  2.
                  御殿様、本日は蘆名直盛様が参加した、
                  小手指原(こてさしがはら)の戦いについてご説明いたしますね。なんだか気合いが入っているっぽい?もちろんですとも!
                  東黒川館に関係するエピソードを知っていただくためには、
                  私、努力を惜しみません!小手指原の戦いは南北朝時代の1352年、
                  武蔵国で南朝方の新田軍と北朝方の
                  足利軍が激突した戦いです。蘆名直盛様は当初足利方で参戦していたのですが、
                  途中で新田勢に味方し、足利勢を敗走させました。しかし、勝利も束の間、すぐさま勢力を回復した
                  足利氏によって新田勢は壊滅。
                  直盛様は本領の会津へと落ち延びていったのです。
                  かっこわるいな。→そ、そんなこと言わないでください……。
                  残念だったね。→なぐさめていただき、ありがとうございます。
                  どうやら、東黒川館が建てられたのはその後のようです。
                  蘆名の家系については、
                  また今度お話しさせていただきますね。
                  3.
                  おはようございます。
                  今日も時間ぴったりですね。さすがは御殿様です。風紀の乱れは心の乱れに繋がりますから
                  遅刻をしないのは素晴らしいです。こほん。
                  ……では、今日は蘆名氏についてご説明させていただきます。蘆名氏は桓武平氏の血を受け継いだ、
                  鎌倉時代からの名門です。長年会津地方を治めてきましたが、
                  直盛様が蘆名氏発展の土台を築いたことは間違いありません。南北朝時代には会津守護職に任命されて勢力を拡大。
                  大名としての一歩を踏み出すこととなったのです。まさに名門中の名門。
                  東北では蘆名氏に肩を並べるのは
                  伊達氏くらいのものでしょうか。
                  ま、ずんだ餅城なんかには負けませんけど。……あ、いけない、つい興奮してしまいました。
                  ずんだ餅城のこととなると平静ではいられなくて
                  ……反省です。それはそれとして、
                  東黒川館についてご理解いただけましたか?
                  もうバッチリだ!→あ、ありがとうございます。感激です!
                  よく覚えていないな。→もうっ。ちゃんと聞いてください!
                  少しでも私のことを知っていただけたなら嬉しいです。
                  ご清聴ありがとうございました。


                  IP属地:广西9楼2017-07-20 22:04
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                    黒川城
                    1.御殿様、お久しぶりでございます。
                    私、黒川城です。眼鏡のせいで雰囲気が変わったように見える?
                    確かにそうかも知れませんね。長い時間をかけて蘆名(あしな)氏と共に成長してきました。
                    この眼鏡は名門、博識の証です。蘆名氏がその後どうなったのか気になるのですか?
                    お任せください。ばっちりお教えいたします。鎌倉時代から連綿と続いてきた蘆名氏は直盛様の代から
                    下ること二百年あまり、盛氏(もりうじ)様の時代に
                    最盛期を迎えます。伊達氏の家督争いに介入したり、常陸の佐竹氏に
                    対抗するために武田信玄や上杉謙信と同盟を結んで
                    最大版図を築きました。東北の雄として名を馳せた盛氏様は、蘆名氏歴代当主の中で、
                    最も知名度の高い御方でいらっしゃいます。
                    私も名門の御城にふさわしいよう、精一杯努力する所存です。
                    あんまり期待してないから。→そ、そんな~。
                    肩に力が入りすぎてるぞ。→は、はい。恐れ入ります!
                    ふつつか者の私ですが、
                    今後ともよろしくお願いいたします。
                    2.
                    御殿様、
                    久しぶりに号令をかけてもよろしいですか?きりーつ、気をつけー!
                    ……礼!
                    おはようございます!……やっぱり挨拶はこれに限りますよね。
                    ぴしっと身が引き締まります。そうだ。せっかくですから、天守から外を眺めてみませんか?
                    きっと素敵な景色が見られるはずです。ほらほら。眼下に会津平が広がってますよ。
                    こうして見ると、会津は盆地だということがよくわかります。
                    猪苗代湖は見えるでしょうか……?北東の方角には磐梯山(ばんだいさん)!
                    会津を代表する山と言われるだけあって、
                    とても美しいですね。
                    君の方がかわいいよ。→そ、そんないきなり……恥ずかしいです……。
                    景色を見るのも飽きたなあ。→つまらなかったですか?
                    すみません……。会津は見所がいっぱいです。
                    御殿様に気に入っていただけたら、
                    とても嬉しいです。
                    3.
                    太陽が山の向こうに沈んでいきます……。
                    はぁ~~~。あっ、御殿様!?
                    いらしてたのですか?申し訳ありません。ため息なんてついてしまって。
                    書物で蘆名氏の歴史を振り返っていたら、つい……。盛氏様の代には戦国大名として輝きを放っていた蘆名氏も、
                    盛氏様亡き後は次第に翳りを帯びていきました。お世継ぎが若くして次々と亡くなられ、家臣団も分裂。
                    その隙を伊達氏に突かれることとなったのです。1589年、磐梯山麓で行われた
                    摺上原(すりあげはら)の合戦で
                    伊達政宗公の軍勢に敗北。家中が乱れ、
                    統率がうまく取れなかったためとも言われています。養子として迎えられていた当主義広様は黒川城を捨て、
                    実家の佐竹氏の元へと落ち延びていかれました。こうして蘆名氏は事実上、終焉を迎えることとなったのです。
                    名門蘆名氏の落日を思うと、残念でなりません……。
                    政宗が強すぎたのが不運だったな。→いいえ。敗北は必定だったんです。
                    みんなで結束するべきだったな。→そうです。規律と風紀が必要だったんです。
                    つい愚痴めいたことを言ってしまいました。
                    どうか御殿様だけは、私を見捨てないでくださいね。


                    IP属地:广西10楼2017-07-20 22:05
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                      会津若松城
                      1.
                      殿、会津若松城、ただいま参りました。豊臣秀吉さまの奥州仕置の後、蒲生氏郷(がもううじさと)公が
                      黒川城を大規模に改修、その際に名も会津若松城に改めました。
                      心機一転、殿にお仕えする所存です。ご覧ください、この大きな望楼型七重の天守を。
                      いつまで見ていても飽きませんね。
                      翼を広げたような形から鶴ヶ城とも呼ばれているのです。天守の赤瓦は雪に強く割れづらいですし、頑丈な御城はまさしく
                      堅忍不抜(けんにんふばつ)の会津士魂を象徴しています。私の甲冑も、この赤瓦にちなんだものなのです。
                      武士(もののふ)の気概に包まれているような気がします。甲冑と言えば、お気に入りなのはハートの形をした胸当てです!
                      この胸当ては御城の「ある場所」の形に因んでいます。
                      「石垣」かな?→殿、流石です!
                      「門」かな?→殿、残念です。
                      なんと、私の胸当てと城の石垣の形は同じなのです!
                      城の石垣に大きなハート形の石が組み込まれているのですよ。
                      私にも可愛いところがあると思いませんか。
                      2
                      殿、ごきげんいかがですか?
                      先日は御城の説明をしましたが、
                      今回は城主の蒲生氏郷公についてお話しさせてください。氏郷公は幼少の頃から英才の誉れが高い人物でした。
                      あの信長公が「眼差しがただ者ではない。
                      我が娘の婿としよう」と評したほどです。氏郷公はその後秀吉様に仕えて会津若松城の
                      城主となるのですが、伊達政宗公を警戒した秀吉さまが、
                      その抑えとして氏郷様を派遣したとも伝えられています。茶湯にも深い理解があり、千利休さまにも
                      「文武二道の御大将にて、日本におゐて一人、二人の御大名」
                      と称賛されました。熱心なキリシタンでもあり、宣教師オルガンティノは
                      ローマ教皇に「合戦の際、特別な幸運と勇気のゆえに傑出した
                      武将である」と報告しています。
                      でも案外知られてないよね。→殿、私の思いが伝わりませんか!
                      隠れた名将だったんだね。→その通りなんです、さすがは殿!
                      つい夢中になって話をしてしまいました。
                      これを機に、氏郷様に興味を持っていただけたら嬉しいです。
                      3.
                      今日はいよいよ幕末のお話をしなければなりません。
                      会津若松城を語る上では避けては通れぬ出来事なので、
                      どうか心してお聞きください。当時、城主は松平容保公でした。幕府のために京都守護職を
                      務め、尊王派の長州、薩摩と戦ったのですが、形勢は日増しに
                      不利となりついに敵は城下にまで迫ってきたのです。山本八重さまがスペンサー銃で敵を迎え撃ったのは
                      有名ですね。この戦いでは数多くの悲劇があったのですが、
                      中でも白虎隊のことは今でも忘れられません。16、17歳の少年たちからなる白虎士中二番隊は戦いの最中、
                      他の隊とはぐれて孤立してしまいました。そしてようやくたどり着いた「ある場所」から会津若松城を
                      見た際燃えさかる城下の炎を御城が燃えていると錯覚、
                      落城したと思い込んでしまったのです。衝撃を受けた隊士たちは、
                      「城が落ちてしまった以上、生きていても仕方がない」と
                      ひとりを残して全員自害してしまいました……。
                      「二本松少年隊の悲劇」かな。→殿、それは別の御城です!
                      「飯盛山の悲劇」だね。→はい。その通りです……。
                      すみません。
                      お話ししているうちに胸が詰まってしまって……。ですが私は、殿を置いて逝くようなことはありません。
                      どうかご心配なさらぬよう。今後ともよろしくお願いします。


                      IP属地:广西11楼2017-07-20 22:06
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                        山形城
                        1.
                        おや、殿ではないか?
                        こんなところをうろうろしてどうしたのじゃ?表門に行こうとしていたのに、
                        霞のせいで方向感覚を失って
                        道に迷ってしまったじゃと?無理もない。
                        この山形城はまたの名を「霞城(かじょう)」とも言うからのう。
                        天守はよく霞で隠されるのじゃ。山形城は南北朝時代に斯波(しば)氏が築城したのが
                        始まりじゃが三の丸からは奈良·平安時代のものと推定される
                        竪穴式住居が見つかっておる。
                        古来より町が栄えていた証であろうな。城郭が拡大されて本格的な御城となったのは、
                        さらに時代を下った最上氏の頃じゃ。
                        隣国の宿敵に対抗するため、
                        その規模は東北一を誇ったとも言われておる。ちなみに我が宿敵とは当然誰のことかわかるじゃろうな?
                        「伊達政宗」かな?→うむ。さすがは殿じゃ。
                        「源義家」だっけ?→たわけ!時代が違うわ!
                        伊達氏とは長年のライバル関係であった。
                        それにしても、よくぞ天守まで無事にたどり着いたものよ。
                        殿は自分の強運に感謝するがよい。くくく……。
                        2.
                        城下の桜を見ていたら、よい句が浮かんできたぞ。
                        「面影の花をたびたびかえりみて」
                        ……これは名句の予感がするぞ。くくく……。……おや、殿ではないか?
                        ちょうどよい。わらわの歌に下の句をつけよ。なにをしているのか、じゃと?
                        連歌の会に決まっておろう。
                        名句が完成した暁には、御城の城門に貼りつけようぞ。難しくて無理じゃと?
                        そんなことでは山形城は任せられぬわ。
                        最上義光(もがみよしあき)公もお嘆きであろう。義光公は戦国時代きっての連歌の名手と呼ばれた御方じゃ。
                        殿も義光公を見習って、もうちと教養を身につけたがよいぞ。よもやとは思うが、
                        和歌と俳句の違いくらいは知っておろうの?
                        長いのはどっちじゃ?
                        「俳句」だと思う。→「五·七·五」……引っかかったな。くくく。
                        「和歌」かな?→「五·七·五·七·七」……正解じゃ。
                        連歌は和歌の上の句と下の句をふたりで順番に詠んでいくもの。
                        わらわと殿の呼吸が合えば、自ずと優れた作品ができようぞ。
                        その日が来るのを楽しみに待つとしよう。
                        3.
                        殿、その兵糧をこちらに運んでくれぬか。
                        それが終わったら、次は武具·弾薬じゃ。なに? 篝火が焚かれて物々しい雰囲気じゃと?実は、今宵は戦の訓練を行うのじゃ。
                        長谷堂城(はせどうじょう)の戦いに思いを馳せて……な。1600年、徳川家康の上杉征伐を契機として、
                        東北諸大名も豊臣方、徳川方に分かれて争うことと
                        なったのは知っておろう。義光公はかねてより家康と昵懇(じっこん)の間柄だったゆえ、
                        当然徳川に味方したのじゃが、その結果境を接する上杉勢の
                        攻撃を真っ向から受け止めねばならぬ事態に陥ったのじゃ。上杉軍は直江兼続率いる二万を超える大軍。
                        対する最上勢は七千あまり。劣勢は誰の目にも明らかじゃった。しかし最上勢は二千挺もの鉄砲を使って防戦。
                        やがて伊達政宗の援軍も到着し、遂に上杉勢を撃退したのじゃ。
                        政宗に裏切られなくてよかったな。→そこまで卑怯者ではあるまい。
                        「昨日の敵は今日の友」だな。→うむ……確かに借りができたようじゃ。
                        これが東北の関ヶ原とも言われている長谷堂城の戦いじゃ。
                        その功を家康に認められ、最上家は最盛期を迎える
                        こととなった。殿も義光公の知勇を見習うがよい……くくく。


                        IP属地:广西12楼2017-07-20 22:07
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                          矢留ノ城
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                          て、天守の隅でなにか気配がします。
                          さっきからじっと見られているような……。ま、まさか悪霊?
                          こ、怖いよう、どうしよう……。落ち着かなくちゃ……。
                          私は矢留ノ城。神様がきっとお守り下さるはず。そうだ、悪霊退治には、覚悟を決めてあの技を……。すーはー、すーはー。呼吸を整えて……
                          えーい、悪霊退散ーーーっ!や、やっつけた……かな?……ああっ!?
                          そのお姿は……城主様だったのですか!?私に会いに来てくださったのですか?
                          ああ……なんてことでしょう……。悪霊と勘違いして祓串(はらえぐし)を
                          思いっきり城主様の眉間に
                          突き立ててしまいました……。
                          気にするな。→城主様……なんて優しい……。
                          痛かったぞ。→ごめんなさい、ごめんなさい……。
                          よりにもよって城主様を悪霊と勘違いしてしまうなんて……。
                          私のばか。ばかばかっ!
                          ちょっと反省してきます……。
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                          城主様……せ、先日は失礼しました。
                          懲りずにお越しくださり、ありがとうございます。あれからずっと滝に打たれて、自分の未熟さを反省してました。
                          二度と悪霊と間違えることはありませんのでご安心ください。どうして巫女の格好をしているのか、ですか?
                          矢留ノ城を治めていた三浦氏は神道を重んじる
                          家系だったのでその影響……でしょうか?御城の山は神明山と言いますし、
                          その名の由来である神明宮は
                          天照大神(アマテラスオオミカミ)が祀られていたお社です。そう考えると私が巫女装束なのも自然な感じがします……。
                          むしろ他には考えられないというか……。私も……天照大神のように、殿を照らす光になりたいです。
                          心配だなぁ……。→なんだか自信がなくなってきました……。
                          俺を導いてくれ。→は、はい!ががが、がんばります……!
                          まだまだ未熟者ですが、ご指導ご鞭撻のほど
                          よろしくお願いします。
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                          うーん、うーん……。
                          ……あ、城主様。こんにちは。あの……ちょっとだけ話を聞いてもらってもいいですか?
                          私、時々自分のことがよくわからなくなってしまって……。矢留ノ城は秋田城とも呼ばれているのですが、
                          かつて出羽国府が置かれていた秋田城とは場所も違うし、
                          ぜんぜん別の御城なんです……。しかも矢留ノ城を治めていた三浦氏の主君は
                          安東氏なのですが、
                          安東氏は後年秋田氏を名乗るようになりました。なのに秋田氏の居城は秋田城ではないんですよ。
                          ややこしくて、もうわけがわかりません……。私っていったいなんなんだろうって考えていると、
                          頭がぐるぐる回ってしまいます……。
                          確かにややこしいな。
                          だらしないぞ。→よかった……。
                          私だけじゃなかったんだ。→そんなこと言われたら……。
                          ますます自信がなくなってきました……。難しいことを考えるのはやめようかな……。
                          地味で目立たない私ですけど、
                          できる限りのことをしてみますね。


                          IP属地:广西13楼2017-07-20 22:08
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                            窪田城
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                            城主様、私のお面が気になるのですか?……あれは狐のお面です。
                            私にとっては、とても大切な物なのです……。関ヶ原の戦いの後、この地に転封されてきた
                            佐竹義宣(さたけよしのぶ)様の元に、
                            ある日一匹の狐が現れました。「我は長年神明山で暮らしていたが、御城が建てられたため
                            住む場所がなくなった。代わりの土地をくれるなら役に立とう」
                            狐はそう言うのです……。喜んだ義宣公は狐に「与次郎」と名付けて土地を与えました。
                            すると与次郎は約束通り、
                            国許の手紙を江戸まで運んだそうです。しかし与次郎狐は、
                            仕事をなくした人間の飛脚たちの恨みを買って
                            殺されてしまいました……ぐすっ。与次郎が飛脚となって佐竹氏の御用を務めた伝説は、
                            今でも与次郎稲荷神社と共に残っています……。
                            それはただの伝説だろ。→城主様は夢がないのですね……。
                            与次郎、かわいそうだな。→城主様は優しいですね……。
                            私がお面を大切にしている理由……。
                            ご理解いただけましたか?
                            2.
                            城主様、いきなりお越しとは……びっくりしました。
                            事前にご連絡いただければ、お迎えの準備をしたのですが。気を遣わなくても構わない?
                            そういうわけにはいきません、
                            例えばこの御城ですが……。窪田城は1604年にかつての矢留ノ城があった場所を
                            広げる形で佐竹義宣様が築城したのですが、
                            天守も石垣もありません。その理由はご存じですか?これは関ヶ原の戦いで
                            豊臣方に味方したと疑われていたために、
                            徳川幕府に遠慮したためとも伝えられています……。当時、幕府は様々な理由で
                            いくつもの大名家を取り潰してました。
                            義宣様としては用心に用心を重ねたのでしょう。夜は暗殺を警戒して寝床に蚊帳を三枚も吊り、
                            昼間は家臣に顔を見せることもほとんどなかったそうです。
                            ……本当でしょうか?でも、きっと大名が生き残るためには、
                            それくらい細心の注意が必要なんです。
                            いくら気を遣っても、遣い過ぎるってことはないんですよ……。……ふぅ。
                            ですがこういう生き方って、やはりちょっと疲れますね。
                            羽根を伸ばすことも必要だ。→そう言ってもらえると……ほっとします。
                            生き延びるためなら仕方ない。→ううう……胃が痛くなってきました。
                            城主様と話している時だけが私の癒しの時間です。
                            またいつでも遊びに来てください。
                            3.
                            あ、見てください。
                            天守の隅に毛虫がいます……。城主様、追い払ってはいけません。
                            かわいそうではありませんか。毛虫は前にしか進まず、決してうしろに下がらないことから
                            戦国武将の兜の前立てとしてよく使われました。義宣様の兜もそうなんですよ。
                            「毛虫前立黒漆塗七十二間筋兜」と言います。すごく長くて舌を噛みそうな名前ですけど、
                            毛虫を模したモサモサが左右に横長にぼわって広がった形が
                            独特でかわいいですよね……。私、御城で毛虫を飼うことに決めました。
                            いいですよね……城主様?
                            気持ち悪いな……。→そ、そんなことないです。かわいいです。
                            もちろんだ。→ありがとうございます。城主様。
                            私もいつか必ず、きれいな蝶になって羽ばたきます。
                            だからそれまで見ていてください、城主様。


                            IP属地:广西14楼2017-07-20 22:08
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                              久保田城
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                              城主様、窪田城改め、久保田城です……。
                              今後ともよろしくお願いします。名前は変わりましたが、
                              御城を治めているのは佐竹氏のままです。義宣様の努力が実ったのか、
                              明治維新まで無事に家名を残すことができました……。
                              よかったです……。よく考えると、佐竹氏って
                              平安時代から続いている名家なんです。これほど古い家柄で、激動の戦国乱世を生き残り、
                              明治維新まで存続した大名は、
                              そんなに多くはないはずですよ。ひょっとしたら、佐竹氏と島津氏くらいではないでしょうか。
                              700年以上もお家が続くなんてすごいですよね……。与次郎稲荷神社の御加護もあるかもですね。
                              義宣様は与次郎狐を手厚く祀っていたそうですし。城主様もお参りされたらどうですか?
                              神は信じない。→そ、そんな……残念です……。
                              一緒に祈ろう。→城主様とお参りできて嬉しいです……。
                              城主様が末永く健康でいられるようにお願いしました。
                              与次郎狐がきっと願いを叶えてくれます。
                              2.
                              城主様、私の持っている扇……美しいと思いませんか?黒地に銀の丸……。
                              シンプルでありながら上品なたたずまいを感じさせます。
                              この扇は佐竹氏の家紋でもあるんですよ。かつては佐竹氏の旗には紋がなく、白一色だったのですが、
                              1189年、源頼朝公が奥州藤原氏を滅ぼしたいくさの折、
                              付き従った佐竹氏に扇を与えられたのが由来とされています。この事は「吾妻鏡」に記されています。
                              家紋ひとつとっても佐竹氏は伝統の重みを感じますね……。ちなみに扇に描かれたこの丸、
                              日輪を表していると思っている方が多いようですが……。実はこれは月なのです。
                              「日の丸扇」と呼ばれることもありますが、
                              「五本骨扇に月丸」というのが、正式な家紋の名称なんですよ。
                              物知りだなぁ。→お褒めにあずかり恐縮です……。
                              細かいなぁ。→すみません。私ったら、調子に乗ってしまって……。
                              城主様、今宵はちょうど満月のようです。
                              あの……天守で一緒にお月見しませんか?
                              3.
                              ようこそ城主様。
                              長かった佐竹氏についてのお話も……今回で最後になります。江戸時代、なんとか安寧を保ってきた佐竹氏でしたが、
                              幕末になると否応なく戦乱の渦中に巻き込まれていきます。迫り来る薩長の軍勢に対して、
                              東北諸藩は奥羽越列藩同盟を締結。
                              徹底抗戦の構えを取ります。そんな中、佐竹氏の久保田藩は同盟を脱退。
                              新政府軍に味方することを決めました……。当然周囲は敵ばかりとなり、庄内藩や盛岡藩に攻め込まれて
                              領内では激しい戦闘が繰り広げられました。敵軍は久保田城まであと少しのところまで迫ったのですが、
                              佐賀藩の援軍が駆けつけたため、危うく戦火を逃れたのです。この一連の戦いは「秋田戦争」とも呼ばれています。
                              御城は戦場にならずに済んだとはいえ、領内は荒廃。
                              勝者にとっても維新の代償は大きかったのですね……。
                              攻城戦が見たかったな。→そ、そんな怖いこと言わないでください……。
                              とにかく佐竹氏が残ってよかった。→はい。私もそう思います。
                              長い間おつき合いいただきありがとうございました。
                              きりたんぽ鍋の用意ができていますので、一緒に食べましょう。
                              お腹も心もあったまりますよ。


                              IP属地:广西15楼2017-07-20 22:09
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