福冈県嘉穂郡大谷村大字幸袋(现饭冢市)の伊藤邸は赘を尽くした大改筑が行われ、烨子を迎えた。そこで烨子は、伊藤家の复雑な家族构成を知らされる。前妻との间に子供がいないと闻かされていた伝右卫门には、妾との间に小学6年の実娘・静子がいた。养嗣子として妹の子供で大学生の金次、その弟で小学1年の八郎がおり、父の伝六が妾に生ませた异母妹にあたる女学生の初枝や母方の従弟などもそこで暮らしていた。伝右卫门は若い顷の放荡が过ぎて子供ができない身体であり、烨子は実子を持つ事が出来ない不安定な立场で、大势の使用人・女中・下男も暮らす复雑な大家族の女主人となる。
烨子はまず家风の改革に取り组み、言叶遣いや家族间・使用人との间の呼び方を改め、朝食をパン食に切り替えた。自分なりの母の务めとして、静子と初枝には最先端の教育を受けさせるべく自分の母校である东洋英和女学校へ编入学させ、婿を自分の縁続きから世话をした。八郎も后に烨子の縁者である冷泉家から妻を迎えている。梦见ていた女学校の経営に付いては、伝右卫门の「金は出すが口は出さない」主义で叶えられることはなかった。
それまで派手な女遍歴があった伝右卫门だが、烨子との结婚にあたり、长年に亘る妾のつねと别れるなど身辺整理はしていた。しかし女中头のサキは家中を切り回すために必要として家に置いており、妾の立场で家を取り仕切るサキと、烨子は激しく対立する。この女中头の问题はこじれにこじれ、东京で烨子をいったん実家へ预ける话合いが持たれるまで発展する。结局、サキを幸袋の家から出す事で决着となるが、すでに婿を迎えている柳原家に烨子が戻る场所はなく、伊藤の家を追い出されれば生活の术もない己の立场の弱さを思い知る出来事であった。また游郭に入り浸る事の多かった伝右卫门に病気をうつされた事も、気位の高い烨子に大きな屈辱となり、夫妇の间の亀裂は深まるばかりであった。伊藤家で孤立を深める烨子は、京都にいる伝右卫门の古くからの妾である野口さとに信頼を寄せ、その妹の「おゆう」を小间使いとして福冈幸袋に呼び寄せた。1年ほど経ってから、おゆうに伝右卫门の妾になる事を恳愿する。己の立场を守るために、自ら夫に妾をあてがい、同じ寝所で3人で枕を并べて寝た事もあったという。おゆうが病で京都に戻った后は、烨子の愿いにより、再びさとが伝右卫门の妾を务めた。