【下图的这件衣服的尺寸十分详细】れたので返上
长116厘米,宽226厘米
ここで「布」とは麻布を指す。袍(ほう)とは上着の一种で、元は骑马民族の人たちの服だったのが中国に取り入れられ、官人の装束となって形式が日本へ伝来した。丈116センチ、幅206センチ。裏地はない。
それにしても、ひどく汚れている。胸のあたりに少なく、裾や右袖に目立つので、作业着だったことは容易にうかがえる。実际、「久米浄衣(じょうえ)返上」と墨书があり、おそらく右利きだった久米の某という人が、汚れがひどくなったからと、支给された浄衣(作业着)を返したことが読み取れる。いったいこの褐色の汚れは何なんだろう。
色から真っ先に思い浮かべるのが、漆だ。宫内庁正仓院事务所が赤外线などを用いて调査した。その结果、漆の特性とは数値が一致せず、漆ではないことがわかった。
では何か。墨より明らかに茶色いため、墨ではない。墨に胶が入ったものの可能性がある。あるいは染料かもしれない。正仓院宝物には东大寺造営にかかわるものが多いことから、造営の一作业で汚れたものであろう。言わば东大寺造営の苦労の证しだ。古代世界を代表する工芸品だけでなく、汚れた作业着も宝物になるところが、正仓院の持つ価値の多様性でもある。
长い袖が邪魔?
唐の官服が作业着にともかく、今回の调査では汚れの正体はつかめなかった。だが、この布袍からは、ほかに兴味深いことがいくつかうかがえる。
もしもこの布袍(ぬののほう)を展开して并べたら、幅70センチ、长さ474センチ(襟の生地の取り方によっては538センチ)の麻布を一着分として用いたことがわかった。8世纪后半の正仓院文书に、一着分を1丈7尺(约505センチ)または1丈8尺(约535センチ)とあるので、ほぼ一致する。展开図をみると、胴部分は腹から胸、背中侧へひと続きで、首を丸く开け、正面を切り开いていることがわかる。袖は筒袖だ。幅70センチにきれいに収まっている。
「中国でも、出土例から、布の幅は70センチくらいで、ほぼ同じでした。布の幅が先か、服のパーツに合わせて布の幅が决まったのか、よく闻かれますが、はっきりしていません。织机の构造とも関系することですか